平川 美輪子 著書「98歳 今が一番幸せ~全ての子どもたちへ~」

本について

  • HOME »
  • 本について

どうして本を書こうと思ったか

2015年1月、97歳の祖母大腿骨骨折で手術入院、私は看病に病院に通いました。

昨年の1月に父が旅立ったばかりなのに、祖母も逝ってしまうのだろうか…
次々の出来事、神さまは何故、私にこんな試練を与えるのだろうか…

この頃の私は、父を看取り、それ以前に母、弟と見送って、何だか全てが虚しく、生きる気力が萎えていました。

そんな私を入院中の祖母が元気づけてくれました!
自分が大怪我をしたと言うのに人に生き抜く力を与えられる祖母はすごいなぁと…

思えば「私をいつも元気づけてくれる、祖母の言霊」

祖母のように歳を重ねても「今が一番幸せ」と言える日々を過ごしたい!

亡くなった家族の言葉がどんどん薄れいき、もっといろんな事を両親に聴いておけば良かったという後悔の中、いつか祖母が旅立っても、日々いつでも言霊を思い出せるようにしたいという想いで、私はその教えをメモし始めました。

そして、いつかこれをまとめられたらいいなぁと思っていました。

 

出版社との出会い!

たまたまポストに入っていたタウン誌の「自費出版応援します」という記事が目に入ってきました。家から5分くらいの本屋さんで、自費出版を目指している人を対象にした説明会があると…

メモしておいた祖母の言霊をまとめるだけでなく、本に出来たら「祖母が喜ぶだろうなぁ」と思い申し込みました。

2015年11月14日

出版説明会「本を出すために」文芸社、東京の出版社の主催でした。わぁ大きな出版社だぁ。

それまで、本屋さんが好きで本を読んではいたものの、本が出来るまでの流れは全然わからず、この会でそれを知ることが出来ました。

「結構、大変! お金もかかる! 今じゃないな!」というのがその時、思ったこと

なので、個別の相談は受けることもなく、その日は終えました。ただ、アンケートの中に「祖母のことを本にしたい」とだけ書きました。2週間後くらいに、文芸社の担当の方からお電話いただきました。

砂川正臣さん、鹿児島県の喜界島のご出身ということで、ちょうどその頃、私の妹は喜界島の中学校に赴任していたおり何かご縁を感じました。お話する中で「本をつくるのは時間がかかるので、本を出すならとにかく早く取り掛かった方がいい」というアドバイス。

98歳の祖母が元気なうちに本を仕上げたい

それなら今だ!!!

決断し、2015年12月21日 自費出版する契約を結びました。

本が出来るまで…

でも…契約して怖くなりました。
私にそんなことが出来るのだろうか。契約費が無駄になる…

契約して4カ月は、何も取りかかれませんでした。

ようやく、「自分で決めたこと、とにかくやってみよう」と動き出しました。5月になっていました。

それから、祖母の所へ、お弁当を作ってお昼を一緒に食べながら、本の題材を集める作業が一カ月半、これは、とても楽しい作業でした。

時系列にまとめた本の材料、様々な材料が集まりました。初めて知る祖母の人生は、戦争を乗り越え、波瀾万丈で面白いでした。

祖母は、いろんな事を詳しく覚えていて語ってくれました。しかし、さすがに年月日までは記憶になく、本を書くにあたって不確かなことも幾つか出てきました。私は、役所に戸籍関係の書類を取りに行ったりしましたが、知りたい事はちっともわかりませんでした。

はぁ〜 やはり難しいなぁ〜 シンドイなぁ〜
何でこんなこと始めちゃったかなぁ〜と行き詰まりました。

そんなある日、祖母が『押入れに我が家の「非常用持ち出し袋」があるはず、その中に書類がいろいろ入っているよ、見てごらん』と…

祖母は中身は知らない、亡くなった祖父が管理していたとのこと。開けてみると古い書類が続々、出てきました。その中に「祖母の小学校の通知表」「朝鮮からの引上げ証明書」そして「祖父の軍歴からの履歴書」が入っていました。90年前に70年前の書類、もうビックリ、鳥肌が立ちました。

「じいちゃん ありがとう!」

私の欲しい情報は全て明確になりました。亡くなった家族にも私は助けられ応援され続け、祖母を中心としたファミリーヒストリーは出来上がりました。

でも、今回の本の中心は、「祖母の言霊」です。

毎日、一つずつとの想いで「三十一の言霊」を集めると決めていました。「17の言霊」は、祖母のインタビューを基に綴れたのですが、残り「14」がどうしても綴れない。

また、苦しい日々!

気が付けば、9月になってしまいました。

どうしよう、もうダメ…

このままではどうしようもない

「えいっ」と執筆を休止して、モロッコに旅立ちました。

 

モロッコへ〜沖縄へ〜名古屋へ〜ヒーリングの旅

何故、モロッコだったのか…

急に「サハラ砂漠に行きたいっ」と思った事と、モロッコリトリート主催の河野修一先生にお誘いを受けた事が重なっていて、数ヶ月前に計画していました。

全く異なる環境で、改めて、日本を見る機会、自分を見つめる…壮大な砂漠で過ごした時間、自分は生かされている、生きているだけで価値がある、そして自分の中に無限の可能性を感じることが出来ました。私には無限の価値、可能性がある、やれば出来る、やれる!

今までとは全然異なる気付きを体感した10日間のモロッコ旅行の後、残りの言霊が次々とまとまり始め一気に書き上げました。本当に不思議な感覚でした。

その後も導かれるように沖縄へ、名古屋へとヒーリングの旅とアロマによる感情解放を繰り返しながら原稿を見直し、10月始めには、本の内容は、ほぼ書き上がりました。普通はここで、本は仕上がるはずなのですが、ここからまた大きな山がありました。

本にするなら、良いものを作りたい!

自分が大きな山を次々と登るように選択し続けたのです。

「智書」と「英語の翻訳」

「祖母の言霊」は「智書(さとりしょ)」で自分で描くと自費出版の契約時に決めていました。

「智書」とは、字の上手い下手は関係なく、書き順書き方にこだわらず、自由に筆ペン一本で自分の心を相手に伝える書、癒しの書。心を伝えるとともに、差をとる「智書」は、相手との差をとり、自分の中にある壁をとるようで自由な感覚なる。

この書で「祖母の言霊」は描きたい!

2015年11月に初めて「ありがとう」の文字を習って描いて、これまでに僅か3回しか道場に通っていませんでした。そんな未熟な私でしたがお手本もなく、ただ祖母の言霊を心を込めて自由に描きました。

これが本になる、流石に不安になったので、智書師範、壱岐晃一郎先生にプライベートレッスンをお願いしました。これも、本当に急なお願いにも関わらず、応じてくださった先生には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ご縁に感謝します。

2016年11月「三十一の言霊」を「智書」で描き上げました。

でも、これで終わったとは、なりませんでした。
祖母は悔いのない人生を送って来たが、唯一心残りは、英語を娘が学校で学び始めた時に一緒に学ばなかったことと言っている…

欲張りな私は、「祖母の言霊を英語に訳したものも本に載せたい!」と思い立ってしまいました。

思いが浮かぶとそのままにはしていられなくて、でも英語訳は筆文字と合わず、本文中に入れるとバランスが悪いなど紆余曲折あって…

でも載せたい! なぜか載せたい!

ここまで来るともう止まらず、当時、妹が勤務していた喜界島の積山泰夫教育長先生に翻訳をお願いしました。これまた、急な思いつきで師走のお忙しい中、素敵な翻訳をしてくださり、本当に有難いでした。

学びたかったけれど貧しいが故に満足に学校も行けなかった祖母、自由に学べる私たちは恵まれている、有難いこと、感謝の気持ちを忘れない、そして、学ぶ意欲に溢れる祖母が習いたかった英語「学ぶ意欲を忘れないようにする!」

また私の思いは形になりました。

 

最後に自分が作り出した大きな高い壁、その向こうにあったものが…

こうやって、2016年12月、本の原稿は仕上がりました。

ところが、いざ出版することを検討する段階になって、また急に不安や恐れが襲ってきました。

わが家の歴史をこんな形で公開して良いのだろうか

私のような未熟なものが描いた「智書」を本にして出版して良いのか

私の文章は稚拙で、祖母の素朴な言霊と比較するとなんと狡猾なことか…

こんな本を誰が買うだろうか

全国出版にしたいと頑張ったけれど、出版出来るだろうか
などなど、さまざまなネガティヴな感情が溢れ出てきてしまったのです。

「もうイヤ、本の出版なんか辞めたい!!!」
そう思って、書き上がった原稿を棚上げしました。
3ヶ月経ち、2017年3月になっていました。
ようやく私は初めの思いに立ち戻りました。私は祖母のように「今が一番幸せ」と言いながら日々を過ごし、歳を重ねたい、だから祖母の生き方、考え方、在り方を記し、私の為に「祖母の言霊」を残したい!

祖母に喜んで欲しい、本は私を励まし続けてくれた祖母に私が出来るプレゼント
父や母には何にも出来なかったけれど生きている祖母に少しは孝行したい。

この二つが最初の想いだったと思い出すと私の心は軽くなりました。そして、出版を決めました。
2017年4月11日、出版社から全国出版に価する内容「ともすれば自己本位となりがちな現代人には、刮目させられる内容となっている(中略)どこを開いて読んでも人生の真実を教えられる」と評価をいただき、2017年4月18日全国出版、初版1,000部の契約を改めて結びました。

メモをまとめて1冊の冊子が、自費出版で300冊になり、気付けば1,000冊の本になっています。

更にエピソードはもう一つ。
契約書に捺印した時、私の小学4年生の時の夢が蘇ってきました。それは

「私の書いた伝記が学校の図書館に並ぶこと」でした。偉人の伝記が大好きだった私の夢。

出版された本は必ず、国立国会図書館に永久保存される…
わぁ〜夢って叶うんだ!

ただ、感謝の気持ちが溢れてきました。

このように、この本はたくさんのサポートがあって出来上がりました。本当に有難い!
本が出来上がる今、私は「今が一番幸せ」と思えて日々過ごせています。

『睦子ばあちゃん、ありがとう!』

  • Facebook
  • Hatena
  • twitter
  • Google+

平川 美輪子 著作「98歳 今が一番幸せ ~子ども達に伝えたい祖母の言霊~」文芸社より販売中!

準備中

PAGETOP